先回の ブログでは、先々回と同じハウスの苗達の写真を使っていました。なにか意図的に?いえいえ単にボケの極み。ハウスの中が少し華やかになった写真を載せたはずだったのですが、汗。GW 後半の四日の朝方の気温が-1℃ ほどだったようで、貯水曹に薄氷が。山々から吹き降ろす風もまだ冷たく、冬を越した露地植えのニンニクと苺とアスパラと、あとアイヌネギと山わさびと山ウドとミョウガとニラと…みんなそれなり頑張っていいます、笑。今月中旬辺りから外仕事は更にあれこれ忙しくなります ♪
冷たい雨が 今にも降りだしそうな6日は休養日にすることに。途中、道の駅へ立ち寄ったりしながら、美瑛から二時間半の鹿追町へ、そう!結構に濃密なあの馬さんに逢いに… 神田日勝記念美術館へ ♪ あの絶筆の未完の馬が記念館のシンボルでした。ペインティングナイフで描くという、神田日勝の馬は骨太な、すこしだけ愁しそうな目をしていたりもしますけれど、賢そうな優しい目をした馬達でした。佳い時間でした ♪
東京から疎開した家族移住組だったそう。与えられた土地は伐採した太い切り株ばかり残る、開墾者も諦めてしまったような原野。開墾に欠かせない馬も、騙され痩せた老馬を売られたり(あばら骨の浮き出た馬の絵が描かれ残っています)田舎の人達がすべて善い人で助け合って…とは言えません。志の高低もあれば、山師も存在しますものね。
農耕機の 借り賃を得るため小品を描いていたりもしたとか。ピシッとした立ち姿の馬の絵は神社の絵馬として描かれたそう(小品ではありませんよ、笑)。開拓当時を知る方の話を聞けば過酷な作業だったろうことは想像に難くありません。馬も牛も道具であり家族であるばかりではない、共に命を紡ぎ合う同胞だったんだろうと思います。生も死も共に対等に、支え合い分け合ったものだけの知る一度っきりの、二度とはない出逢いと別れ。どう生きるかで どう描くかが決まる "あの馬" は "神田日勝" でした。
羆との 今年の初出会いは5月5日の午後7時頃、白金温泉帰りのいつもの峠道でした。まだ若い丸いお尻を見せて走り去ったのは昨年同じような場所で出会った三頭の母子のうちの一頭だろうと思います。我が家の下流の諏訪橋に初めて見かけてから四年、出会う機会が増えています。確実に人間との距離は縮まっていると感じます。人間の方が広く奥深い北海道の原野に踏み込んだ来たわけで… 失礼 忘我録でした、笑。そうそう小次郎ママが美瑛の D.I.Y. 店で購入してきた、細く痩せたサツマイモの苗達にはちと寒かろうと地植えしきれず、まだハウスで微睡んでいます… 失礼 これも忘我録、笑。
~ 2024年5月8日、あれから肌寒い日が続き