今回は表題の如く自己満足について書き綴っています…ちと? かなり ウザイです。
丸ごと吹っ飛ばすか、いつも以上に…サラリと読み飛ばしていただくのが吉かと、汗。
Do it yourself…こうして 素人リフォームをしていると、経験不足と能力
以上の局面に たじろぐばかりで、暫し 作業が滞ってしまうことが 多々あります。
想定内でしょ?…そうですね、まあ 木っ端大工クンには 当然のことなのですが、笑。
自分達流の空間を自作してみたくて始めた作業も、見学させていただいた移住諸先輩
の自作ロッジを思い出したりなどすると…己の非力を痛感し、ちと落ち込みそうに
なったりもします。自己満足どころか? 負のスパイラルに囚われそうです、笑。
それって単なる自己満足だろ? よく言われる言葉なのですが、
自己満足って そんなに低い意識レベル?…そんな疑問符を持っていますもので
そうかもね、だけど 仲々どうして 楽しいよ …そうオジさんは答えるのが常です。
独りよがり 自意識過剰…等々、おおよそ否定的な形で語られる自己満足ですが
スポーツに例えると、各々のポジション 守備範囲の違いが解り易いかも知れないと
自己満足とよく比較される社会的満足とのポジションの違いも含め…綴ってみます。
自己満足チームは多様な個性と欲求を信条とする選手揃いの不思議なチームです。
俺のフォームはなんて美しいんだろう…ナルシスという外国人選手は常にこうですが
ツボに嵌まるとスーパープレイも飛び出します。チームという集団にとって個人技は
磨かれているに越したことはなく、勝利という双方に満足いく結果なら大団円です。
逆だと、ナルシスの奴 またやっちまったぜ… 結果論として ブーイングを浴びますが。
そんな選手達が 勝手に多様な欲求のままにプレイするので 自己満足チームの試合は
いつもドキドキの展開で…常に超満員です。実は 監督は多くの人々に競技の楽しさを
知って欲しくて 個性的な選手ばかり集めたのです。それは他チームにも活気を与え
監督の望みは " 社会的満足リーグ " の設立に貢献する形で…満たされたのでした。
説明になっているのかどうか?…では 自由という意味のふたつの英語…
Freedom と Liberty を比較しながら、オジさんの想いを綴ってみます。
Freedom 個として在るがままに持って生まれた 束縛も差別もない解放された個人的
自由。多様な個性と欲求を持つ自己満足は、根源的なこの自由世界に棲んでいます。
Liberty 個として尊重され 守られるべく 不自由な状態から獲得 形成された社会的自由。
前述の監督のように、なんらかの行動を通し 社会に確立されてきた 自由世界です。
ざっくり過ぎるかな?…往々にして自身の欲求と周囲の理解との狭間で悩み苦しみも
する訳で、この微妙な違いを押さえておかないと始まりませんし、多様な欲求を行為
や表現で具象化しやすい環境を整えてあげる必要性が どうしても生じて来るのです。
満たされぬ欲求が騒めいた落ち着かない心しか生まないとしたら、晴れやかな舞台
として準備されたのが…前述の選手達が躍動する " スタジアム " なのかも知れません。
自我から自意識へ…そうやって動き始めた自己認識の過程の中で、個の持って生まれた
在るがままの姿を率直に受容さえできれば、それは自己確立のための道標になります。
自己の全てを、誰よりも自分自身が 受け入れ 大切に 愛し育ててあげられるかどうか?
ここが 大事なポイントなのだと思います。" 自己満足チーム頑張れ "…みたいな、笑。
満ち足りた感覚は穏やかさを提供してくれます。それは自分以外の存在を思いやったり
共存できる土壌を生んでくれるかも知れません。お腹を空かせた野良の子猫にミルクを
あげる…ひとつの自己満足が 共鳴し共有し合う 優しい 開かれた世界を創り出している
ようにも見えます。それは更なる積極的な行動を促し 新たな枝葉や花芽や果実や種子を
生み、やがて一本の確立した 揺るがぬ 樹木のように育ってくれるかも知れません。
もしそうなっていったら…単なる自己満足も オジさんは大成功だと思っているのです。
写真はリフォーム中の地下室にあった古い井戸のポンプです。庭を飾るオブジェとして
残そうと…オーナーと取り外しました。もし オジさんがこれを絵に描こうとすると?
上から見たり横から見たり、離れて見たり這いつくばって見たり、触れてみたり、
使用された時代背景や家族の歴史や…一個のポンプの存在の意味と本質を知ろうと
試みます。知ることは描くことにとても重要で、何故それが自分との共鳴を生むのか
何を描きたいのかを模索する過程で、自己の内奥の本質に気付かされることも多く
描きたいという欲求に基づく行動は…やがて描き上げる確信へと繋がっていきます。
うまく表現できずに思い悩む時も率直に描けた時も、今持っている力の限り描いた
これが全て…そう感じられた瞬間が完成です。もし また次の画題に出逢えたのなら
独りよがり?…等と、自問を繰り返し 向き合うだけなのです。いつもの技術的課題も
不充分な自己も抱えながら、描きたいものや伝えたいものに近づこうとする過程の中で
自由に変化していける悦びに満たされる…それは オジさんの描くという行為の原点で、
それは 満ち足りた穏やかさを与えてくれ、共に存在する悦びを教えてくれるのです。
自由の扉を開く始まりの鍵は やはり個々の自己満足と向き合うことにある思います。
率直に シンプルに扉を開いておくことさえ出来れば、多様に現れてくる " 自分 "と
等しく多様性を持った " 他の存在 " と、共鳴し合える交点や共有し合える世界が
きっと見付かるはず…オジさんが そう信じているだけなのかも知れませんけれど、笑。
Do it yourself …やれることを やるだけ。くどくど書き綴ってしまいました。
解決しなければならないことも山ほど持つ、ただの平凡なオジさんですが 孤独では
ないことに 感謝しています。仕方のない孤独も時としてあるにしても、独立独歩は
おおいに歓迎しますけれど…唯我独尊はオジさんの望みとする世界ではありません。
自然に囲まれた田園地帯のこの環境は 同じ人間社会でも…街とは異なるリズムを奏で、
一緒にいよう…そんな優しい自然の響きと共に 率直に生きることも教えてくれます。
訪れる季節と共に、老いた翼を拡げ ぼちぼち毛繕いしつつ 過ごせたなら…至福です。
しょうもないオジさんの " 自己満足 " を傍らに、ぶつぶつ独り言を呟きながら、笑。
~ 2020年2月29日、じき三月…幾つになった?オジさんの誕生月を前に、笑。