漫画みたいな オジさんの描く絵や銅版画達は、いつも、ありふれた何処にでも
ある、日常の喜怒哀楽と呟かれた言葉の群れ、詩のようなもの達から生まれて来ます。
そして妄想の如き… 女神?妖精?そんな存在が重要な位置を占めています。芸術家なる
アーティストなるものは作品について多くを語るべきではない… よく言われますけれど
唯々、普通のオジさんは、伝えたいと思ったなら持っているもの全てを総動員させても
伝えようとします… 邪道?恥も外聞もなく、そこはそれ、凡人の為せる術かと、笑。
かれこれ 二十数年前、一度でよいから個展をやってみたくて? 否、当時の本業の
看板屋の仕事にも行き詰りつつあって? 起死回生の一手? オジさん自身が、真っ暗闇
の淵から脱け出したかったんでしょうね、笑。市内で一番借料の安かったギャラリーで
一週間、続いて行きつけの料理店 " つたや " のママのご厚意に甘え、無料で月末まで。
個展当日まで三夜連続の徹夜、この一枚の刷り上がりを最後に、ようやく諦めがつき、
制作にピリオドを打ちましたっけ。笑う他ないこの経験はオジさんの宝物ですが、懐。
女神?妖精? ついオジさんも考え込んでしまうのですが、色恋ばかりじゃなく
友情や家族や、無償だったり永遠だったり、自己や社会に向けられるものだったり、
兎に角「愛」という、それは確かに「存在」なのです。オジさんの描き出す主人公達は
ほんの少し先を照らす眩い光? それに憧れ導かれ、一歩だけ前へ進もうとするのです。
オジさんの親密な友人も絵を描くのですが、芸術家タイプの彼は、語るより先に描きた
くて仕方なくて… 描けてしまう。オジさんにはない羨ましい限りの資質の持ち主、笑。
hondapapa さんも… このタイプ。見ていて話していて心地良いのはこの違いのせい?
もの作りの仕事がしたくて看板屋になったオジさんの性に合っているのでしょうか?
銅板は柔らかいとはいえ金属ですので、御すために職人的作業工程も生じてきます。
ブツブツ呟くように青い希硝酸の海で腐蝕されていく銅板を眺め、創り出されてくる
独特の陰影を想像していると、想いを閉じ込めているような?不思議な充実感が、笑。
銅版画を習い覚えた時から ずっと絵本を創りたかったのですが、叶わず、
プレス機どころか、感性も視力も、オジさんのありとあらゆる部分が錆びついてしまい
考えています。今のところ三篇… 創れたなら嬉しいなと、この年齢でね、笑。
少ないながらも若かりし頃の、絵本のための習作やラフや走り書きを残してあります。
それを頼りに、道標に、そろそろ人生最後の夢と妄想の準備も始めませんと… 時間が。
遠路はるばる美瑛まで移り住んだ、もうひとつの理由が具現化しませんものね、笑。